カムチャツカの自然講演会 
ユーリ・ゲラシモフ  ワロージャ・サベンコフ 池内俊雄
2002年12月6日(金) 龍谷大学深草学舎「日本の自然」の二コマをつかった講演会


3人の京都への到着
 2002 年12月4日夕方 ユーリ・ゲラシモフ、ワロージャ・サベンコフ、池内俊雄の3人が須川の小栗栖宅に到着(7日まで滞在)。
 (ワロージャはウラジミールの愛称、ユーラはユーリの愛称)。
 最初にワロージャ様がいったことが「チェプロー(あったかいね)」だった。(毛布1枚かけるだけで、窓まで少しあけて寝ているので驚いた。)
 3人が来ることは池内様から湖北へのfax(ビザ用の旅程案)を見て、京都滞在予定があったので、西本願寺訪問・(金曜があったので)講演会のアイデアを思いつき、関係者との情報伝達がはじまった。途中の上越の朝日池でも会が持てたようで、上越教育大学の中村雅彦様からも大量の別刷りをいただいていた。
 西本願寺訪問・講演会の企画やMLで流すところまではいろいろあったがスムーズに進んだ。
 今日は湖北でワロージャ様が小谷小学校で国際交流でボルシチ作りとか大変だったとか。いっぱい飲んで気持ちよく、ぐったり。
 小谷小学校など、渡り鳥の話など昨年で済んでいるので国際交流としてのボルシチづくりなどワロージャ様も活躍の場があったとか。しかし多くの場所ではワンパターンの交流も多いそうだ。
 
チェプロー 
 ユーラ、ワロージャ、池内俊雄


西本願寺書院雁の間見学

 12月5日(木)午前中は醍醐寺を少し見てもらい、西本願寺へ向かう。国際センターで今回間にたっていただいた仏教学の赤松様にもあう。ロシア経済の田中雄三様はロシアで有名な映画監督のグチエフ氏を連れてきていた。取材にきた京都と毎日の記者にブリーフィングをする。
 まず書院の雁の間に行って写真撮影をする。池内様の記者への雁の文化のレクチャが迫力があった(翌日学生にも話してもらった)。
 雁の間は、右手が朝の飛びたちをあらわす櫨雁図であり、中央部は刈跡で餌をとっているマガンとハクガンの群れである(家族群になっているかどうかまではチェックしなかった)。群れの背景にある金の模様は水田の畦道だと気付いて感心した。欄間は月(隣の部屋)に雁の構図で、これは夕方の沼への落雁だろう。鴻の間はコウノトリの欄間や3種のツルが見事である。池内様によると、マナヅルの肉には特別な意味があるという。今日はアサザやミズアオイも見ることができた。
 私も本願寺新聞の記者の小林様などにこの文化財の意義を話しているうちに、色々と気付いた。つまり、これらの生き物は、21世紀初頭の時点で非常な意義を持ってきた。持続性のない開発にしか目がなかった20世紀の最中ならば、単にかつていた生き物が描かれている文化遺産という意味しか持たないが、21世紀にはいって、湿地や湿地生物を復元が世紀の課題となってくると、これは取り戻すべき目標が生き生きと描かれた文化財という意味をもってくる。
 最近読んだラムサール条約の新しい湿地の文化的側面に関する作業につながるのだと実感できた。
 この文書では、文化的側面を問題にするようになった経過として、世界遺産条約とのリンクも述べているが、この書院はまさに世界遺産なのだ。
 7年前の講演会の時は原稿を訳しておいて私が通訳の形にしたが、今回は原稿なしのぶっつけ本番だった。
 ともかく先週の私の講義のレポートの課題の一つとしていた学生からのユーラ様への質問を全部書き出した。雁の渡りや生態に関する質問、ユーラの生い立ちや研究の魅力・困難さを聞いたもの。ロシアの経済の中での渡り鳥の研究や保護に関するものと分かれた。


 西本願寺書院見学後唐門にて
  池内・土屋・ユーラ・須川・ワロージャ・西野・浜端

ユーリ・ゲラシモフ、ワロージャ・サベンコフ講演会
 12月6日(金)午前中、ロウソクガラスで有名になった稲荷大社を見学。お賽銭だとか、絵馬、だるまだとか、個人の願掛けの文化を楽しみ、おみやげとしても買っていた(願掛けの物語そのものを買っている)。コンビニに寄って昨日の記事が掲載された新聞を買う。職員食堂で昼食後、プリント作成。
京都新聞と毎日新聞の記事。西本願寺書院雁の間を訪問した記事が出ている。
 最初の講演はワロージャのカムチャツカの概況の話で、龍谷大経済学部の田中雄三様がロシア語を通訳してくださった。500キロもあるヒグマに田中様も驚いていた。ユーラは渡り鳥に限った話しを英語でするということで、内容は池内様が流暢に訳した。渡り鳥研究の方法として1)直接観察、2)標識調査、3)衛星発信機について紹介した。
 その後池内様が雁類の一般形態・生態について説明をしてちょうど3コマ目は時間となった。

ユーラへの質問
 休息後、4コマ目の時間は学生の質問に答えるというスタイルではじめた。 
 最初に多かった質問は雁の渡りだったということで、北海道に中継する意味、まっすぐ海上を飛ぶか、何日か、繁殖地らしいところへ戻ったことがわかったとして、その後どうするかといった質問が出ていると紹介した後で、オオヒシクイの衛星発信機のさわりのVTR(NHKの番組)を20分見せた。
 このオオヒシクイの渡りが解明された意義についてユーラの意見を聞いた。
 次に、研究者になぜなったか、研究の内容、困難さ魅力について聞いた。
 5歳の時に父にフィールドに連れて行かれたことが大きい。ただし中学〜大学そして教師生活の時は趣味で野鳥観察を行っていたが、プロになってからは、趣味の延長なので働くことは楽しいという話しだった。幸い研究所へ行く必要もない。今回の来日はたまっていた有給休暇を使うことでもある。調査時間では渡り調査の際の時間について説明、困難さは寒さよりは夏、特に蚊について多く語った。
 次にユリカモメのコロニーの現状を、田中先生からの質問のメモの効果もあって聞いた。最近ヒグマが夜中に卵・雛を採食するために個体数が減少気味というなまなましい話をした。
 このような調査によって判ってきた水鳥フライウェイに、他の分野の人々も注目しているということでぜひユーラ様に会いたいという水草研究者の浜端様を紹介し、うまくひっかかる水草の越冬芽や種子の話が聞けた。続いて土屋様の雁類にかかわる植物(たで)の仲間の紹介があった。
 時間がなくなったので、最後は西本願寺書院について池内様に語ってもらった。雁の持つ文化的側面についての話はなかなか興味深いものだった。
 盛りだくさんの講演会にしあがった。VTRに撮った。少なくとも音声はシャープに録音されていた。

講演後にユーラらに聞いた質問
 時間がなく聞くことはできなかったが、学生の質問は他にもあった。日本に長期滞在するとすればどんな研究をしたいか。渡り鳥保護について私たちができることはなんだろうか、とか面白い質問も多かった。これらの質問は講演では聞く時間がなかったが、滞在中に色々話した。
1)日本に長期滞在するとすればどんな研究をしたいか→高山帯の鳥の研究。そりゃ中村雅彦様のイワヒバリなどの研究との連携だ(バルグジンにコフシャーという人がいた)。
2)渡り鳥保護について私たちができることはなんだろうか→冗談では、今から袋を回しますからぜひお金を入れてください。まじめなところでは、経済的に余裕のある日本人はカムチャツカの大地に立とうとすればできる。まず、行って、カムチャツカの大自然を実感して多くの人々にその感激を伝えて欲しい。(もちろんその前に、「日本の自然」の勉強をまじめにやって欲しい。)
3)ロシアの経済悪化の中での渡り鳥の研究や保護をどうすすめるか→研究面では国際協力が大きい(これは以前から聞いていたことだが、国際協力が得られない分野の研究者は本当に困っている)。ガンカモ類の研究についての比重が大きかった。今後シギ・チドリ類や、水草などを含む水鳥の生息環境についての共同研究がはじまる可能性が高い。これらの研究をばらばらにするのではなく、コンバインして大掛かりな調査隊を北部カムチャツカに向かわせるという構想もあるという。保護面に関しては、州立保護区のシステムは後退せずに数が増加している。ただし個々の保護区の管理者に関しては給料が低いこともあり調査能力もない人があたらざるを得ず、地元の漁師などが密猟するのを見て見ぬふりをしていることもあるという。
 1995年の講演の際はカムチャツカ西海岸の湿地帯で、水鳥などに大きな影響を与える石油開発のための調査が進んでいると報告があったが、近年州政府はむやみな開発は止めて将来の資源として残す方針をたてた(輸送手段のめどがたたないようだ)。ただし、パイプラインで送れる天然ガス開発は一部行われているとのこと。
 カムチャツカにおけるエコツーリズムのことなどもっと聞きたかった。
 懇談会はおしゃれなレストランだった。森秀格さんや愛媛からきた山本貴仁さんらも参加。
 ワロージャ様が私はいつカムチャツカに来るのかと聞いた。私は今のところ、浜端様のプランと標識協会の計画でカムチャツカ調査に参加しようとしている。小鳥調査に参加した山本様はぜひまたカムチャツカに行きたいという。これは4年間のまとめを早急に行うことにかかっていると説明した。浜端プランがどんなねらいかは今回の講演に参加してもらったおかげで明瞭になった。