講演要旨

北アジアの雁類  その動態の解明と保護

アレクサンダー・アンドレーエフ
ロシア科学アカデミー北方生物諸問題研究所鳥類学室長



 雁類は豊かな北極圏の湿地生態系の頂点を占め、長い進化の結果、多様な種・多くの個体数を占める存在となった。北東アジアには、主に北米で越冬する「色付雁」(ハクガン属、コクガン属)としてハクガン、コクガン、シジュウカラガンなどが、またアジアで越冬する「灰色雁」(マガン属)として、マガン、ヒシクイ、サカツラガンなどが生息する。前者は、近年北米の亜種がアジア域に分布を拡大している。これらの多様な、雁類の多くの種、多くの個体数が生息する場所として特に重要なのは、コリマ川河口域とアナディル湾域である。
 1960年以降北東アジアで目的を明瞭にした様々な雁類の調査が実施された。1960年以降、北極海ウランゲル島においてハクガンの、1975年以降、アナディル川やコリマ川流域などで「灰色雁」の調査が行われ、1990年代前半には、日本雁を保護する会との共同調査によって北極海沿岸に生息する雁類について重要な調査がなされた。
 このような調査によって、極東北部の雁類にとって重要な地域が明らかになり、基本的な雁類の渡りのコースや渡りのパターンが解明された。主たる渡りコースは、アジアの夏の繁殖地と北米の越冬地を結ぶ東部太平洋コース、日本に関係の深い西部太平洋コース、さらに中国・韓国の越冬地へ向かう大陸コースである。ヨーロッパにおいては採食地となっている農耕地がかなり北まで分布しているが、東アジアでは南に偏っているので、春の渡り前に雁達は長時間越冬地で採食し、一挙に繁殖地に向けて長距離の渡りを行う。マガダン州のオホーツク海北部は、渡り期に狩猟者が多く、そのために雁達は高度をあげて通過するが、秋の渡り期には大きな問題が残っている。
 20世紀になってから雁類の生息数は大きく変動し、東アジアにおいては、ここ数十年の間にかつての個体数から50〜90%も減少した。これはロシア・中国など東アジアにおける過度の狩猟が主な原因で、1970年代になって日本や韓国では狩猟が制限されることによって、それらの地域では減少はとまった。以下マガンに焦点をしぼり、1年の生活史の各側面別に個体数に影響を与える要因を説明する。
 マガンが産卵してから秋に渡りを開始するための11〜12週は、霜がない時期と一致し、雛の採食期間を「あふれんばかりの緑」に一致させるために、雌はまだ営巣地で餌がとれない時期に産卵し抱卵を開始する必要がある。春の渡り前に2500グラムあるマガンの雌は渡り・産卵・抱卵のために約700グラム〜850グラムの体重増加ができる。繁殖がうまくできるかどうかは中継地において妨害なく採食が行われるかどうかが重要な点である。周期的に個体数変動するレミングが増加していると繁殖地の採食地として重要なワタスゲ平原が荒れ、捕食者の北極キツネも増加しているために繁殖が抑えられる。抱卵期は北極キツネ、トナカイ、遊牧民による巣への捕食圧にさらされる。孵化後モザイク状に入り混じった多様な環境は、繁殖家族に、最善の採食条件と安全性をセットで提供する。成育期の雛にとって、川岸にトクサの新芽が多い場所は最も重要な採食地となる。七月になると、非繁殖鳥は昔から使われてきた換羽地へ移動し、集まってくる。換羽地は繁殖地からかなり離れていることもある。この離れた換羽地では、雁類は食物資源の多寡と妨害要因に大変影響を受けやすい。
 雁類の未来のためにどのような保護戦略をつくるべきか。アジアに伝わる信仰や伝統はヨーロッパのそれと比較しても、さほど人間の存在を絶対的においたものではなく自然と程よく調和している。調査や保護活動を共同で行うことは、持続的な開発を可能にした保護戦略の構築に資するものであり、既にいくつかの目覚しい成果があがっている。ロシア国内では、1990年代以降ロシア国内の雁類の研究者は、海外の研究者や国内NGOとも連携をとり、国内法や国際的な環境条約(渡り鳥の二国間協定、ラムサール条約、ボン条約、生物多様性条約など)にもささえられ、調査や成果の発表(「カザルカ(アオガン)」という専門誌がある)、種ごとの活動計画、狩猟規制、個体数復元計画などにおいて役割を果たしている。近年、国際的なプログラムとしてIBA(重要な鳥の生息地)の選定・正式指定の作業が進んでおり、東アジアにおいても雁類の種数と個体数の多さを根拠に多くの重要生息地が選べられており、科学的な根拠のある保護区として育っていくことが期待される。長い艱難辛苦の時を乗り越えて、アジアのガンの歴史は、明るい方向へと転換するように見える。我々は、この前向きな変化が二度と逆戻りすることのないようにしたいと願っている。


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