開催趣旨説明:里山をめぐる環境問題としての鳥獣害問題

丸 山 徳 次
(里山ORC副センター長、龍谷大学)


1)課題発見型ワークショップ(公開勉強会)
 「共生をめざすグローカル大学」を基本理念とする龍谷大学は、昨年、文部科学省私立大学学術高度化推進事業への採択を得て、里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター(略称「里山ORC」)を開設しました。里山ORCは「里山をめぐる人間と自然の共生に関する総合研究」をテーマとし、諸成果を広く一般に公開することを目的としています。
 今般、里山ORCワークショップ「里山環境における鳥獣害問題の課題を探る」を開催することになりました。万葉集の中にも詠われているように(1)、昔から里山では野生鳥獣との軋轢の中で人々の生活が営まれてきましたが、近年特に大型獣(シカやイノシシ)による農業被害が頻発したり、昨年秋のようにツキノワグマが里地におりてきたことが大きな話題となっています。とりわけ昨年のクマ異常出没の問題に関しては、里山林の放置・荒廃が、野生動物の行動圏の変化に関係しているのではないか、という議論がなされていますし、究極的には日本の林業全体の問題と関わっている、ということも指摘されています。現代における「里山」の捉え方は、余りに林学的な見方によって規定されすぎているきらいがありますが、里山が人間と自然との相互作用システムの一形態であり、「地域生態系」としての性格を持つ以上、「里山をめぐる人間と自然の共生」を追究する里山ORCにとっては、地域の野生動物との共存・共生の問題を無視することができないと考えています。そこで、里山環境における鳥獣害問題が、里山学・地域共生学にとって重要な諸課題を突きつけるものと考え、その課題を探る目的で今回ワークショップを企画しました。里山ORC研究スタッフともども課題の発見に努めたいと思います。

2)環境問題としての鳥獣害問題
 今回のワークショップ開催のためにポスターを作成すべく、ある印刷屋さんに依頼をしました。大井さんの御本の中にある瀬川さんの「クマの傘」の絵を使わせていただくことは決めていたのですが、あとはすべてデザイナーの方に任せました。出来上がってきたポスターを見て、私は大変感心しました。「鳥獣害問題」という言葉の中の「害」の字が赤く染められていたことに、感心したのです。確かに、人間が農耕生活を開始してからこのかた、野生鳥獣との軋轢は、人間に対する「被害」という意味を持っていたに違いありません。しかし、近代文明の発展、戦後の産業化・都市化の進展によって、今や加害と被害の関係は複雑化し、鳥獣「害」を、野生鳥獣による一方的な「被害」とは解せなくなっています。むしろ人間に対する「被害」の前に、人間による「加害」が先行しているのです。「問題」とは、私たちに解決を迫ってくる何事かですが、今や「鳥獣害問題」は、私たちの社会システムがもたらしたが故にこそ私たち自身が解決しなければならない「環境問題」のひとつとして、捉えなければならないでしょう。
 昨年のクマ「異常出没」に際して、大変興味深い議論が起こりました。関西のある環境保護運動家が、都会の公園などにもあるドングリを集めて、山にクマのエサ場を設けようと声をあげたのです。ところが、すぐにインターネット上を始め、反対の意見が提出されました。ドングリの遺伝子の攪乱が起こったり、病原菌が運ばれる可能性もあるし、人間の匂いのついたドングリを撒けばいっそうクマは人慣れして危険性が増すし、そもそも餌づけはすべきでない、等々と意見が寄せられ、ドングリ集めの運動は早々に沈静化したのです。私はここに、現代社会における新しい二つの可能性を見ることができると思います。第一に、野生動物に対する愛護意識の高まりと、第二に、生態学的知識や認識の一般化、および情報社会におけるその一般化の拡大です。「ドングリを集めよう」という発想は、都会人の非常に単純な情緒論であり、「百害あって一利無し」だと思われるかもしれません。確かにそういう面もあります。しかし、野生動物をただ「害獣」として排除することのみを考えてきた近代初期の発想と比較すれば、ここに別の可能性が生まれていることは、確かだと思います。そして、動物愛護の情緒論が適切な仕方で生態学的認識と媒介されるならば、「絶滅危惧種」の問題や「生物多様性」の保護問題にも、広範な関心が向けられる可能性があると思います。それ故にいっそう重要になってくるのが、生態学的な知識の集積と伝達です。勿論、大量生産大量消費の生活を続けている都会人が、木材の自給率が20%にも満たない日本の現実も知らないで、ただクマが可哀想などと言うべきでないことも、確かです。つまり、野生動物たちが置かれている状況について考えるためには、社会科学的な知識の集積とその伝達も必要です。まさに、「野生動物の問題とは、特定の地域や一部の関係者だけがかかわるべき問題ではなく、環境問題の重要なテーマであり、また、社会全体が解決を目指して取り組むべき政策課題である(2)」と見るべきでしょう。

3)「里山」の概念と機能
 昨年のクマ異常出没に関わって、もう一つ興味深いことがありました。台風の多数上陸など、異常気象によるエサ不足が「原因」として語られるとともに、やがて「里山の荒廃」が要因として論じられ、里山の機能が改めて注目されたことです。里山が奥山と人里との「緩衝地帯」だったのに、里山に人の手が入らなくなって、クマが降りてきやすくなった、というわけです。このような文脈で言われる「里山」は、奥山と対比される空間区分であり、また、農用林・二次林としての「里山林」を意味しています。ただ、「里山」の概念は、現在、基本的には広狭両義あり、狭い意味では里近くのヤマ(林地)のことですが、広い意味では「里地」を含み、「里山林、ため池、用水路、田んぼと畦がセットになった(3)」構造体であって、私は「里山農業環境」と呼んでいます(4)。クマの出没については、農村の過疎化・高齢化にも関わった休耕田の拡大なども要因として論じられていますから、里山農業環境がまるごと機能不全に陥っている、とも言えるでしょう。しかし、イノシシやシカの場合はどうなのでしょうか。伝統的なシシ垣やシシ土手(シシ=猪、鹿、猪鹿、獅子)に見られるように、むしろ里山農業環境は野生動物たちを育みやすい環境でもあったからこそ、防除をいつでも必要としてきたのではないでしょうか。動物種の異なりと関連させて、里山の機能を改めて考える必要もあるかもしれません。また、生物多様性保存の観点から見るとき、地域個体群を考慮することが大切になります。里山は地域ごとの特性を無視できぬ個別性を有しており、鳥獣害問題を「里山環境」という観点から考えるということは、地域生態系の特性を考慮することにつながります。
 こうして、鳥獣害問題解決の糸口のひとつを探るという方向から、里山の「機能」を考え、そこから「里山」の意味を改めて考えてみることができるでしょう。広義・狭義いずれにせよ、里山が二次的自然だとしても、そこで私たちが出会う動物たちは、「野生」の動物たちであり、そうした「野生」の自然との共生の可能性を探ることが、現代の里山の意味を考える課題の一つに違いないと、私は考えます。


(1)「あしひきの山のと陰に鳴く鹿の 声聞かすやも山田守(も)らす児」(『万葉集』巻10- 2156)
「魂合(たまあ)はば相寝むものを小山田の 鹿猪田(ししだ)禁(も)るごと母し守らすも」(巻12- 3000)
「衣手に水渋(みしぶ)つくまで植えし田を 引板(ひきた)わが延へ守れる苦し」(巻8- 1634)
有岡利幸『里山T』法政大学出版局、2004年、p.34f. 参照。
(2)羽山伸一『野生動物問題』地人書館、2001年、p.9
(3)田端英雄編著『里山の自然』保育社、1997年、p.171
(4)丸山徳次「里山学の提唱」『龍谷理工ジャーナル』17巻1号、2005年4月、p.9

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